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立ち塞がる試練 ~若さの壁~

第2章 遺族の悲しみに寄り添う

20.02.03 UPDATE

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こうして藤田先輩の助けを借りてではあるが、デビュー(=独り立ち)を果たしいくつかの葬儀経験をすると、僕は自信がついて「もう一人でもできる」と、一人前の証である泊まりこみの当直を率先してやりだした。もしそのときに葬儀の依頼電話が入ってきたら、完全単独のデビューとなってしまう。しかし、むしろそのチャンスを僕は望んでいた。

それでも経験はまだまだ浅いので、依頼が入り一人で不安なことがあったら、遺体を安置して枕飾りまで整えて、遺影とする写真を預かり、一度帰ってきて先輩と一緒に伺うことになっていた。だが、僕は習い覚えたとおりにやれば、もう一人でもやれると生意気にも考えていた。そこへ本当に葬儀の依頼電話が入ってきたのである。僕は勇躍して一人で病院へお迎えに行き、喪家宅へまわった。故人はかなり高齢のおばあちゃんであった。枕元に座って手を合わせ、「心からお見送りをさせていただきます」とつぶやいて、北枕を確かめ、ドライアイスを当てるなど遺体の安置を済ませ、神棚封じをし、枕飾りに移った。

「では今から、枕元のお飾りをいたします。ご宗旨は真言宗でよかったですね」

宗旨を確認し枕飾りを整えた頃、お寺様がやってきて枕経が始まった。これが済むと遺族は順番にお焼香をする。終わるのを見計らって、

「ご家族の方、お集まりくださいますか」

と声をかけて、別室で喪主を中心とする主なご遺族と打ち合わせに入った。

打ち合わせの内容は、祭壇、棺、会葬者の数、返礼品、料理、供花、そして二日間の流れの丁重な説明である。火葬場の窯取りのための役所との折衝からお寺様との連絡まで、大体のことを知っておいていただくのだ。何度聞かれても丁重に答える。出来るだけ専門用語を避けて分かりやすく説明する。ただでさえ悲しみに打ちひしがれているご家族。そして、初めてと言っていいほど何もかも分からず不安の中にいる方々への配慮は細心の注意を払う。これも藤田先輩からの指導だ。

「慣れてくると流暢な説明になってくる。専門用語を使いたくなってくる。目の前のご家族は何もかも知らない方々だと言うことを常に忘れず、何度も聞かれれば、何度も話し、伝え、めんどくさいを取り払う気持ちを忘れるなよ」

いつも諭すように僕に伝えてくれていた。

このときに亡き人のアルバムなどを見せてもらい、写真選びなどもさせていただくのだが、僕はその方がどんな人生を歩まれたのか、その片鱗を聞けることが嬉しかった。これも藤田先輩の指導があってのことであるが、

「葬儀は一つ一つ皆違うんだぞ。亡くなられた一人一人の人生があるんだよ。それを知ることによって自分の目じゃなく、家族の目で、親族の目で、故人を眺められるようになるんだ。そのためにはアルバムを見せてもらったり、家族や親族に故人の生前の話を聞くとかすることが大切なんだ。ただ単に、打合せ書を埋めていくだけの担当者には絶対になるなよ。そう言う心構えさえあれば、冨安君が望む、最期の場面でご遺族から、心からのありがとうをもらえるよ」

故人についてなんにも知らなくても、儀式を提供するだけの作業なら、葬儀の施行進行になんら差し支えはないけれど、それでは心の通った”お見送り”ができないではないか。藤田先輩があれほどご遺族の心をつかむのは、そうした考え方があってのことだと、僕も今では深く理解していた。

*

だが、思わぬ試練が僕にのしかかった。

故人は享年九十三歳のおばあちゃん、大往生だ。聞けば聞くほど家族皆に好かれていた人だとわかる。打ち合わせが済んで雑談的な雰囲気に、少しくつろいだ気分になっていた僕は、

「ご家族の皆さんやお孫さんに囲まれて、大往生で天寿をまっとうされてお幸せでしたねえ」

優しく微笑みながら言った。すると正面の女性から、

「・・・私たちはもっともっと:長生きしてもらいたかったんですよっ….」

少し棘ある言い方に違和感を感じたが、若い僕はそのとき何も気がつかなかった。打ち合わせの後、帰社して祭壇などの段取りをして、荷を運ぶことになっていたので、僕はいったん社へ戻った。すると店長に呼ばれて、

「冨安君、喪家から今、担当を替えてほしいという電話が入ってきたよ」

と告げられたのだ。僕の発言が「亡くなってよかったねえ」と受け止められたらしい。

「なぜだ!どうして?そんな言い方なんか絶対にしていない!」

しかし、そう言われてしまえばどうしようもない。店長は電話口でかばってくれたらしいが、なんともならなかった。同じことを言っても十八歳の僕が言うと、明るくにこやかに言っているように相手は感じてしまうのかもしれない。

「大往生で天寿をまっとうされて・・・・・」と言ったつもりだったのだが、「九十三歳までも生きたのだから十分でしょう…」と聞こえたのかもしれない。

結局、藤田先輩が替わってくれることになった。祭壇などを運びながら僕を伴って再び喪家を訪れて、まず藤田さんが挨拶をしたのち、

「すみませんが、ご担当者の件で、お電話された方はどなたでしょうか?」

遺族に尋ねたが、誰からも返事は無かった。

「至らないことで申し訳ありませんでした。私が替わりますが、彼はサブ担当として私に付けて指導をいたしますので、それだけは許してやってください」

一緒に頭を下げながら、気まずく情けない気持ちではあったが、最後までお手伝いをさせていた。

*

一般的には、十八や十九の若者には死というものは頭ではわかっていても、実感を伴って感じられないし、想像すらできないものである。僕の場合、仕事とはいえ日常的に死に接していると、死は否が応でも身近に感じ取れるものになっていった。死は誰にも訪れる。それがいつなのかは神様仏様しか知らないこと。死生観が深く刻まれていく。

それらの死には千差万別のパターンがある。年を重ねて亡くなる人だけではない。病気、災害、事故、自殺、事件絡みの死や働き盛りの方の突然死、若い死、父母の死、最愛の配偶者の死、子供の死など数えきれない種類の死がある。そしてそこには、若い僕にはわからない、心を引き裂くような悲しみと喪失感がある。短期間であまりにも多くの経験をし過ぎた僕は、人の死を自分のなかで整理できなくなっていくのを感じていた。

人は誰でも必ず死ぬ、それはわかっている。けれども、これだけさまざまな死があり、そのたびに起こる人々の嘆きと悲しみをどう受け止めればいいのか、「辛過ぎる!もうわけがわからない」という気持ちになりかけていた。

今朝、幼稚園に行くために家を出て、その幼稚園バスに轢かれて亡くなった四歳の子の親御さんの心を引き裂かれるような号泣。正月休み、一日先に車で実家に向かった妻と子供二人が事故に巻き込まれて突然の死亡、一瞬にして家族三人を失って、一人になってしまった父親の嘆き、喪失感。大人の棺が一つと子供の棺が二つ並んだ祭壇の前で、小さくなって座っているその父親を前にして、僕はどうやって心に寄り添って”お見送り、ができるというのか。その悲しみの深さは計り知れない。掛ける言葉さえ失う。独りよがりで世を嘆き、無差別な殺人を犯した犯人の犠牲になった方の被害者家疾….。

死と向き合うそれぞれの場面で、担当者として心を込めたお見送り、を思うほど、胸が苦しくなってくる。そのわだかまりを藤田先輩に話すと、

「あるがままに受けいれるしかないだろ。最近のお寺様、あまり法話をしないけど、ときどきいい法話を聞かせてくれるお坊さんがいるよな。あるがままに受けいれなさい、と言っている。おれもこの仕事に入る前は時間はいっぱいあると思っていた。でもこの仕事をやっていると、人は必ず死ぬ、そして、いつ死ぬか誰にもわからないってことがはっきり見えた。死生観を否応無しに感じさせられる。そして、今生きていられる奇跡を知るんだ。生きているって、生きていられるって本当に奇跡であり、貴重なんだと思う。当たり前じゃないんだと思う。だから、お前も限られた時間を大切にして、誰にでも必ず来る「死」をあるがままに受けいれられるようになるほかないよな。俺もこの仕事をやって来て思うんだ。「死」を受けいれた時から「生きる」ということを本当の意味で知ることになるんじゃないかって。ある住職も言っていたよ。「死生観」の字を見なさい。「死」が先にあるんだ。だから、「死」を先に考えるから「生」をちゃんと感じられるし、ちゃんと生きることができるんだよ」

深くこの言葉を肚におとしていた。

僕は誰に対しても、この仕事が楽しくて面白くて、一度たりとも辞めたいと思わなかったと言っているが、じつは藤田先輩がいなかったら、僕はどこかで糸が切れた凧のようになって、この仕事が続けられなくなってしまったかもしれないと、後になって思うのだ。藤田先輩の言葉は、僕の生き方を変えるくらい心に深く刺さっていた。言葉の力を身を以て感じ、大きな学びとなっていた。

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